女は女を嫌いです。


三島2冊感想。


「永すぎた春」
これ、孤島の鬼の後にすぐ読んだから、ほとんど内容が頭に残ってない 汗


大学卒業したら結婚をすると約束した、男と女の結婚までのそれぞれの思いと道のり。
「結婚ってのは、お互いが盛り上がっている時に勢いでしてしまった方がいいよ」ということ?
なんだかこのカップルの考え方や、やることがいちいちさわやかで「古き良き時代の慎ましさ」がわかる一方
「今の時代にこんなうだうだしてたら、冷静になりすぎて結婚の勢いも鈍るよな」と思う。


今更処女に共感できる程カマトトぶれないし、懐かしむ程年重ねてないから
真っ当な恋愛を「あー真っ当だねー」としか思えないのである。
だから斜めから見て「幸せで平和な人間は頭ン中が暇だから、なにか刺激欲しくて余計なことを考えるんだよ」
くらいいって自分の偏屈さに意固地になって見せるしかありません。


えーと、そう感じた小説でした。



「宴のあと」
料亭の女将、かづが、都知事候補の野口と恋愛し結婚、そして選挙運動を通じてのそれぞれの野望と失望。


はっきりいって政治のことはよくわかりません。
でも、一人の女の恋心と野心を辿っていく過程は結構面白く読めた。
ひょっとして、三島が女を主人公にして書いた小説って、はじめて読んだんじゃないか?


これ読んで思ったのが、「実は三島は女なんじゃないのかな」と。
主人公かづの息の荒さが実に生々しくて、ちょっといやらしくみえるくらい女おんなしてて
どこにいてもその場所その場所に計算があって、その傲慢さがあつかましくさえ感じる。


例えば、同じ女をよく主人公にして話を進める太宰の小説なんかは
男に対して頑ななまでの実直な思いをぶつけたり、夢や妄想に浸され周りが良く見えてなかったりと
どこか入り込める隙を醸し出しつつも、そこに毅然とした清楚さがあるというか
どんなにあさはかな女を描いてても、太宰の描く女は正に男が描く女の理想であったりして
そこに女への尊敬の念も見えたりするんだけど。


三島はまったく逆な感じで、女のありのままの臭い立つような信念を描きだして
そこに描いてあるかづの行動の「自然さ」や「涙」や「恋心」、果ては「政治への無知さ」までもが
どうも読んでいて「うーん、なんかすべてがわざとらしい」と思うのと同時に
その逞しさと躍動感が「でも女って、実際そんなとこあるよな」とも思ってしまう。


つまり、三島の描く女のほうが実存的な感じがするわけだ。


でもそこに決して女への尊敬の念は感じられなく、むしろ軽蔑感すら感じて
「あーこんな『女からみた女』のような感情を描けるのは、ひょっとして三島が『女』だからじゃないのかしらん?」
とか訳わかんないこと口走ってみたりする。


一応、「女」として生きてて私がわかることがあるのだが。なんか、女って女が嫌いですよね。
仲良くしてても、どこかしら自己内緒事というか腹に一物もってるというか。
まぁほんとに信頼関係があっても、針の穴程度の打算くらいはありそうな感じで


三島の女の描き方には、同性に余計な賛美を与えないそれがある。


まぁ、でもこの女主人公の年齢設定が50代くらいだから、そういう「女らしさ」があって当然か。


その分、旦那になる野口は単純も単純。なんつーか不器用通り越して堅物すぎてある意味天然の域にいってるよな。
三島が生きてたら、これを題材にして是非、政治を通しての夫婦漫才とか描いて欲しかったね。


なんでもお笑いに向ける私。いかんな。汗


あ、そうそう。今日「アメトーク」でたけし軍団がでてました。
ホント、めちゃくちゃ体張ってたのねこの人達。


熱湯風呂、氷点下の中鵜の恰好で鵜飼、真冬オホーツク海ダイビング
プロの格闘技かに蹴り入れられて骨折などの怪我、凶暴な動物との対決。


まさに必死で体張ってるのに、TV見てる親達に「子供の悪影響になるから見せられない」と駄目押し。汗


そうか、たけし軍団はMじゃないと入れないし、残れないのですね。


私向き♪(おい)