読むとは演じる事なのだろうか?


篠原千絵 「天は赤い河のほとり」15、16巻


最終巻。この最後の2巻が一番面白かった気がする。


ナキア皇太后とウルヒ二人の過去と絆が、結構重厚で主人公達よりも物語性があるってもどうなんだろ?汗
それぞれの思いの深さが見え隠れしながらも、触れる事もしなかった二人の思いは
ページめくればやってる印象の主人公達の、決して不幸とはいえない関係性の軽さを感じさせて
「やっぱユーリは現代へ帰っておしまい」とか思いながら読んでしまった。汗


そんで、たくさんの犠牲があって、最後にまだ死ぬ人がいて
「今まで生きてて、ここで死ぬんかい!?」と、思わずツッコんでしまいましたとさ。


もうちょっとストーリー短かったら、中だるみ感じないで読めたかな。
海の闇、月の影」読みたい。



そんで、ついでに漫画の話で


前に名作「自虐の詩」を読んで私は泣けなかったという話をブログでしたんだけど
これはなぜか?登場人物に共感できなかった?あまりにも前情報で内容を知りすぎたのか?
こんな言い方もおかしいけど「泣ける」「感動する」という箇所はわかる。
この作品が皆が推薦する通り、とても良い作品なのも読んでわかるし、実際飽きることなく一気に読めた。


どちらかというと、この作品で泣くとか感動というより、
この登場人物達のおかしみというか、愛嬌や愛しさを感じて「やさしい漫画だな」とほのぼのした気持ちになった。
「不幸」という題材も、ここまでくるとホントギャグだなって感じでどうも現実味感じれなかったし。


そんで、「これを他の人が読んだらどう感じるんだろう?」と思い。
特に漫画慣れしてなくて、でも普通に漫画を読み、ある程度の反応が期待できる人物
職場の同僚さんに1人、ドンピシャな人がいたので
その人に「とにかく上下巻文句いいながらでもいから読んで」と、内容を一切教えずに漫画を渡した。


そんで、その感想。


「だんだんと読んでいるうちに、自分が幸江になったようで、なんか切なくなってきつかった」


これだ!


なるほど、この人は読むうちに作品の中に自分も入っていき、
幸江の状況を自分で演じ、イサオの横暴さにハラハラして
父親と一緒に過ごし、熊本さんと出会い裏切り、再会したんだ。


そうなると、確かに私はこの作品を読んでても幸江にはならなかった
遠巻きで幸江の状況を見てる傍観者だった。


だから作品の痛みの感じ方が半減されたということなのか。


子供の頃、少女漫画を読む時は自分がヒロインになった気分で、相手役の男の子に憧れたり恋したり
ヒロインの失恋に一緒に泣いたり、自分も一緒に参加してその世界を楽しんだもんだけど
最近、そういうのない。ホントない。確かに漫画読んで泣く時もあるけど、昔のような気持ちでは読めない。
少年漫画もまた然り。今じゃ似たような内容にツッコミ入れるのが楽しいもんな。


そうか、これがMネェの名言「特殊な感性」が欠けてしまったということなのね。


じゃあ、「自虐の詩」ってジャンルは少女漫画?
まぁ最近の少女漫画よりかは純愛だよな。
つーか、漫画にしろなんにしろ、ずっぽり嵌って作品を堪能するに越した事無い。


結局、同僚さんは泣くまではいかなかったらしいんだけど
でも、うん。いい発見ができたような気がする。


人の感想を聞くというのもやはり大事だな。