NO Future、NO ジジイ


グラン・トリノ


内容は、朝鮮戦争を経験した頑固ジジイのウォルトと、隣に越してきたアジア民族の姉弟との交流。


ああ、もうこんなドストレートに感動させられるとは。
ポケティッシュが足りなくなるんじゃないかと思うくらい、しゃくりあげて泣いてしまった。汗


これはさ、戦争を経験したジジイの孤独とか、懺悔とか、生と死とか
語ろうとすればいくらでも語れるわかりやすい話なんだけど
クリント・イーストウッドの演技があまりにもかっこよくて見事だったので
これはまだまだ青っ洟垂らしてる30代のガキンチョが語るのは失礼だなと思い
私の身近なジジイの話でもしようかと思う。


ま、ジジイといっても私の祖父は、父方も母方も私が小さい時に亡くなっているからよくわかんないだけど
母方の祖父は、話によるとできないことはないくらいなんでも自分でする人で
物作りや料理なんてお手のもの。ブタを一匹解体するのも難無くやりのけ
消防団に入り、警察にも信頼され、人の人望も厚く、何をやっても器用だったらしい。


ただ、そんな人なのになぜか無職で、無職の割に子供9人作り
働いてる子供の給料を勝手に前借りしたりして暮していたというかなりパンクなジジイだったらしい。汗


ついでに、そのジジイは家の兄に「一年に一枚鯉のぼりを買ってやる」と言って
黒い鯉のぼりを一枚買ってすぐに亡くなってしまうというポップな部分も持ち合わせていたらしく
我が家は兄が大人になるまで、黒い鯉のぼりを一枚家の中に張るという子供の日を迎えていた。(残り買えよ 笑)
毎年、子供の日に張られた黒い鯉のぼりを見るたび
「最初に買ったのが吹流しじゃなくてよかったね」と母と話してた。(だから残り買えよ 汗)


そんな感じなんで、私と祖父の思い出はない。


そんな中、私と姉が「じい」と呼んでる人がいる。
母の二番目の兄だ。つまり私の伯父である。


伯父をいつから「じい」と呼びだしたのかはいいとして
このじいは、よくスーツに長靴を愛用。または調子のいいとき「new balance」のバッタモンの
「N」が「M」になってるスニーカー等を履いていたりする、祖父に負けじとポップである。


じいと私達は、親戚の集まりの時会うといつも「おう、居たか」「おう、来たよ」が挨拶で
私達がいかなかったら「今日はあいつらどうしたのよ?」と必ず気にかけてくれて
最近では、私がアトピー悪化で苦しんでる時、
母に「代われるものなら代わってやりたい」と言ってくれてたらしいのだ。(感涙)
行動がお茶目で、ぼそぼそっと話す言葉がなんとも面白い、シャレのわかるとてもひょうきんなジジイで
私達はとても大好きだ。


でも、母がいうには、昔とてもそんなシャレのわかるような人ではなかったという。
どっちかというと、かなり頑固で偏屈だったらしいのだ。


そのじいが、数年前に倒れて救急車で運ばれた時があった。
長時間の大手術で生死をさまようくらいの危機にも関わらず
じいは自分が倒れる瞬間に自分で娘に電話をし、その後救急車も自分で呼んだというのだ。
それを聞いたとき、やはりこの世代の人たちの気丈さには敵わないなと感じた。
そして見事復活。今も会うたび「おう、居たか」「おう、来たよ」と挨拶している。


そんなじいは、今、人の話し声を反復するふくろうのおもちゃが流行らしく
私達と会話する時もそのふくろうを持ってきて、自分と私達の会話を反復させている。


どうやら生死をさまよった人間は、ポップさに拍車がかかるらしい。笑


じいだけじゃなく、家の親戚の伯父さん達は、皆じいと同じくらい気さくでかわいらしい人ばかりだ。


そしてかっこいい。


クリント・イーストウッドに負けないくらい自慢のかっこいいジジイ達なのである。


そう、かっこいいジジイになるには、未来がなければ始まらない。
ウォルトは、タオに偏屈なかっこいいジジイになることを託した。


グラン・トリノに負けないくらい、かっこいいジジイになっている未来を。


NO未来、NOジジイである。