ピンクの衣を借る春日と、安全品質表示の若林が漫才をお送りいたします。


「オードリーDVD」


巷では、ピンクベストとスーツの青年がお茶の間の人気者になっている。
各いう私もM-1以降のファンなのだが
これほどまでにあの二人に好感度があるってのもよく考えると「なんで?」って思う。
スーツはともかくとして、ピンクベストのあの出で立ちは初見で好感が持てるとは到底思わない。
ましてや、予備知識の無い構えた状態で、あのズレ感は観てる側を不安にさせるだけである。


私も含め、多少のお笑い好きはともかくとして
世間というのは不安要素になかなか笑いを見出だすことができないもんだ。
できることなら簡単に手放しで安心できる笑いが欲しい。


じゃあなぜ、オードリーがお茶の間に受け入れらたのか?


私が思うに、オードリーはM-1の漫才で
「ピンクベストの安全性」をお茶の間に認識させるのに成功したからだと思うのだ。


オードリーの漫才を観てると、とにかくピンクベストに目が行く。


まず、ピンクベストは、冒頭のつかみで軽く観てる側をイラッとさせます。 笑
そしてネタが始まると、勝手気侭な横槍でスーツの話の腰を折ります。
そこから、どこまでも平行線をたどる噛み合わないスーツとピンクのやりとりに
観てる側は「あ、やっぱピンクは見た目通りのうっとおしさなんだな」と感じる。


そこでスーツの青年が客目線でピンクにツッコみ、ド突き、たまに阻害し冷たくあしらって
観てる側が感じる不満を解消し、共感を誘うのです。


それでもピンクは止まる事を知りません。 汗


更に過剰な自己主張を繰り返し、散々スーツを振り回しながら加速するド突き合いの中
「スーツ負けるな、もっとやれ」と観てる側が次第にスーツに荷担していったところで。


突如二人は、顔を見合わせ「へへへへへ」と笑い出す。


はい、なんとも平和な光景ですね。


あれだけネタを台無しにしたピンクを、スーツが許し受け入れたんです。
スーツは心が広くて、やさしいですね。 笑


そんな心やさしいスーツが、どんなことされても一緒にピンクと漫才をやっているんだから
案外、ピンクも良い奴なのかもしれないのです。


こうなると、ピンクへの観る目が変わります。
不安が少し消え、不信感が興味へ繋がっていくのです。


そこから一気にTVの露出が増え、今に至るということは
「ピンクは安心して笑える芸人」と認知されたということなのでしょう。



なぜこんな事を言うのかというと、私はM-1後にキサラでの漫才を数本観て
「あ、TVでやってる漫才と全然雰囲気違うんだ」と思ったから。
私が観たあの漫才は、どのくらい前のものかはわからないんだけど
あのキサラのオードリーは、お世辞でも茶の間ウケはしないと思っています。


パターンの基本は今と同じだけど、微妙に、違うんです。
まず目に付くのが春日よりも若林で、これが全然客目線ではないんです。
どっちかというと春日よりで、野放し状態です。そんで無表情でいじわるです。 笑
春日は、「ピンクべストの衣」を借るどころか、「春日の衣」すら借れる状態ではなく
キャラもふわふわした状態で定まってません。ただ、気持ち悪いだけです。 汗
(でも私の好みはこっち↑なんだけど)


そんな状態から、あれほどまで幅広く受け入れられる洗練された漫才に完成していったのは
彼らの意図した努力なのか、それともTV出演をきっかけに徐々に吸収していった賜物なのか
そんなことは彼らのみぞ知ることなんだろうけど
間違いないのは彼らの笑いのセンスは本物だったということでしょう。
そしてまだまだ、進化できる状態でもある。ということも確か。


DVDでは、TVで頻繁にやってる「デート」の漫才を取りにしてるんだけど
これ、2007年のM-1準決勝で酷評されたネタだと知ってたから
TVでバンバンやってるの観た時、その根性に思わずニヤッとしてしまった自分がいる 汗
でもまぁ、このネタはこういう形で披露できたんだもん、幸せもんだよね。


そんなオードリーのDVDは、やはり「安心して笑える」ネタが満載です。
最近、TVであまり漫才を披露してる姿が無い今だからこそ
改めてオードリーの漫才を観るのに丁度良い内容だと思います。


私は、「まだまだこんなもんじゃないだろ?」と煽っときます。 笑