生き返っちゃうもん、そりゃ負ける気がしねーよな。

木更津キャッツアイ ワールドシリーズ


やっと観れたぁ〜♪待ちに待ったキャッツ、ニャ−!
いつもならいろんなとこで感想読んでから行くんだけど、今回は敢えてなんの知識も入れないで観に行く。
まぁ知識といっても、ドラマは何度も観てるし、前の日本シリーズも観てるからそれで充分なんだけどね。


ちなみに、私は映画や漫画のネタバレとか一切気にしないから観たり読んだりした人の感想を見まくる。
だって、観た人の感想なんてそれぞれだし、どんなに内容細かくわかったとしても
結局は自分の目で観て読まなければ感じることは出来ない。


反対に人の感想読んで満足してしまう作品なんてそれまでだし。


様はあれだよ、あれと同じ。
人の噂を鵜呑みにして噂の人と接するよりも、実際自分が接してみて自分なりにその人がどんな人か確かめる。
それと同じ。


なので私はネタバレありの感想を書きます。


つーかこの映画はもうかなりの贔屓目で観てるから、どんな仕上がりでも満足はすると思うんだけど。
でも、でも私はこの映画で泣くとかってのはないと思っていた。


いやーでもやっぱ最後まんまと泣いちゃったよ。


友達ってさ、お互いの存在がわかりすぎちゃって居心地いい反面、わずらわしい時があるんだよね。
「こいつが今何を感じてるか痛いほど伝わってくるから、そっとしといてやりたい」とか。
「でもホントは甘えたいんだろうけど、それを言葉にしたらこいつはそれを突っぱねるだろう」とか。
友達だからこそ崩せないプライドとか、意地というか
それがかえって邪魔になって距離作っちゃったりすんだけど、やっぱすごい無くてはならない人なんだよね。


互いに信用があれば少し離れたとしても、会えばまたその距離はすぐに縮む。
でも、それは時間と存在があればの話なんだけどね。


つまりは生きてさえいれば、どんなに気まずくなろうとも、それを許しあって修復しようとすることができる。
相手に甘えて辛くあたることも出来るし、悪い冗談も流すことが出来る。


でも、相手が死んでしまったら、それが出来ない。


ぶっさんが「死ぬ」というとこを誰もが現実として受け止めたくない。
だから「ああ、ホントにもうお別れかも」と感じてしまった時のどうしようもなさって
辛いの悲しいの通り越して恐怖に近いものがある。


だって、今生きてるこの人が自分の前から「死んで」いなくなる。
そんなの目の当りにしたくないし、その日が来るのが怖いから、どんな形であれ避けたい。


バンビもアニもマスターもうっちーも
ぶっさんが死ぬ前に、ぶっさんから離れることで「死」から現実逃避したかったんじゃないのかな。


で、ホントにぶっさんは死ぬわけだ。


そしたらホントにぶっさんはもういない。死ぬ前に離れてしまったことを「ごめん」と謝れない。
普通に日常を日々過ごすんだけど、どうもきちんとお別れをいえなかったことが頭に引っかかってしまっている。
そんな皆の思いがぶっさんをきちんと成仏させることができず、結果蘇らせる事になってしまう。


たぶん、人と人の付き合いに「後悔しない」なんてない。


大事に思えば思うほど、どんなに後で後悔しないような付き合いをしようと
その人と一緒に居る一日一日を大事にしていても、その人が死んでしまったらきっと後悔は残る。
だって、「後悔するしない」で成り立っていた関係じゃないもん。
大切に思うほど長く居たいし、その人との先を願うと思うから。


それは死んでしまった人も同じだと思う。
だから余計にお互いのその気持ちが相俟って「死んでも死にきれない」状態にぶっさんはなってしまったんだと思う。


でも、死んでしまった以上は断ち切らなきゃいけない。
だって、死んでしまった人はもういないし、生きてる人はこれからもその人の人生を生きなきゃいけない。
立ち止まって死んだ人の思いにずっと耽ることは、やっぱりできない。
死んだ人間がいつまでも成仏しないわけにもいかない。


そういう意味では、最後のキャッツメンバーの、あの突き放したような別れ方はよかった。
一見冷たいようなアニの言葉は、ぶっさんが安心して成仏できるきっかけになったと思う。
それは決してよくある感動の結末ではないけど、だからこそ「死」という現実を感じる。


それにぶっさんパパだけが、「蘇ったぶっさん」を見ることが出来ないというのもよかった。
つーか、やられた。キャッツドラマの和田アキコの物まねシーンと同じくらいせつなかった。
その唯一血の繋がっている父親という存在が、息子であるぶっさんの「死」を一番受け入れたくないのと同時に
一番その「死」を感じ取っちゃてるだろうと思うから。
結局ぶっさんの最後を見取ったのは、やっぱり父親であって。
その時の「普通」の親と子のシーンは泣く以外に思いつかないくらい感情が入ってしまった。


きちんと最後を看取ったから、蘇ったぶっさんが見えないというのは。
なんだろう、その意味がわかっていても神さまの配慮なのかなとさえ思う。


「死」ということをお祭り騒ぎで賑やかして、楽しい時を生と死とをごちゃ混ぜにして過ごしたとしても
これは妄想であり夢であり皆の思いであり。


やっぱり、死んでしまった人は生き返ることはないんだよ。


だからそう思えば思うだけ、どんなにふざけた映画だとしても
やっぱり「死」を感じちゃうし、死んだ人への「別れ」の難しさを考えさせられる。


こんな風にお別れを言えたら、少しは死んだ人への思いも楽になれるんだろうかね?


なんだか、あっという間に映画が終わってしまったと感じるくらい、もっと観ていたかったな。


あ、そうミニオジ−かわいかったな。
オジ−もきちんと見せ場作って、颯爽と消えていったし。
栗山千明も相変わらずドSな演技が光っていたわ♪


いやーでも今回は誰が一番すごくいいとかはなくって、キャッツのメンバー全員皆愛しかった。


でも、うっち−が普通のしゃべりでちと物足りなさが・・・・汗


映画終わって携帯のメールチェックしたら、あら久々に何件かメールが。
内容は皆「あんたの住んでるとこ、津波警報でてるけど大丈夫?」という知人のメールだったのだが
わしが映画観てる間にそんなことになってたんかい!わし帰れるんか!?
と、思ったのだが。家族からの心配、報告メールは一切なかったので、たぶん大丈夫なのだろうと帰宅。


まぁホントに大丈夫だったとはいえ、なんか複雑な気持ちになった。汗