32年無駄に生きてる見本=私。

今日はお風呂の大掃除とタンスの中の整理しました。


たまに北斗の拳読みながら。汗


風呂は自己満足できれいになってホクホク。
しかし、タンス整理してて思ったのが、いやーわし服買いすぎだな。汗
もう着ない、いらない服がわんさか出てきて思い切って捨てることに。
見事ゴミ袋に二つ分になりました。爆 
つーかこれがタンスに入っていたことに驚く 汗


この服買う分、貯金すればだいぶ貯まっていたと思うんだがな 泣


高校卒業するまで、服なんか着れりゃあいいと思っていた私なのに、いつからこんなに執着するようになったんだろ?
でも服はお店で見てるだけでも幸せだ。気に入ったのを見つけたらもっと幸せ。
ファーストインプレッションはとても大事だ。それはどんな物にもそうだけど、感じたらもうそれしか見えない。
なんに対しても「出会い」なんだよね。そこに「偶然」とか「必然」とか付け足したりなんかして。


私は、気になる服を買うか買わないか迷ったりする時、とりあえずその日は買うのを止める
そして後日、その服に再び出会ったときに
「あの時買わなかった服がまだあるなんて、きっと私に買って欲しかったんだな」
と「運命」を感じ、即効レジへ持っていく。


そうやって「買う必然」を確かめるのだ。


でも、今回捨てる服を見ると、その「必然」が多すぎるような気がするのだが・・・汗



「必然」やら「運命」といえば、最近ふと思ったのだが
数ある漫画の中で「必ずどこかしらで読むことができる作品」というのがある。


そりゃ見たい漫画ありゃ買えばいいし、立ち読みや漫喫とかで読むこともできるけど
そういうのじゃなくて読める漫画。


例えば5、6年前によく遊んでいた友達の家で発見した浦沢直樹の「Monster」
まだ連載途中だっから、新刊出る度友達の家行って読ましてもらってたんだけど
全巻出る前にその友達仕事の都合で東京行っちゃたんだよね。
で、あーもう続き読めないなーとか思って、最後どうなったか気になりつつも(買えよ)ほっといたら
1、2年後に仲良くなった友達が偶然全巻持ってて、即効借りて読破。
めでたく全部の内容を把握できましたとさ。


ということが多い。


今読んでる「ワンピース」「20世紀少年」「ブリーチ」も前の職場の人に借りてたもんだから
辞めた後もう読めないなとか思ったけど、今の職場の同僚さん3作品とも持ってたから未だに続き読めるし
つまり、漫喫や立ち読みしなくても近くの人に借りて読める環境が用意されてる。
そう思うと「ああ、この作品は私に読まれる運命なんだな〜」と漫画に「必然」を感じてしまうわけです。


だって、ワンピースも20世紀も巻長すぎて買う気にもならんでしょうが 汗


黒田硫黄クイックジャパンの特集読んで、読んでみたいなぁ〜とか思ってたら
友達が「茄子」の載っているアフタヌーンたまたま持っていて
それ読ましてもらって面白かったから黒田硫黄の作品集めするようになったし


これも「その作品を読む運命」にあったと思いません?


皆、小説や音楽なんかいろいろと必ず「出会うきっかけ」ってのがあって
そこに「運命」や「必然」を感じてしまうと、自分の人生の中にそのことが大事なことに思えて
そこれ「あー、これ読む(聴く)為にわしは生きてんのかしらん?」とか思ったりする訳です。


こんな「自分の生きてる実感や意味」なんてのはすげーちっぽけかもしれんのですが
いんです、わし小さくまとまった人生が望みなんで。(態度はでかいけど)


で、まぁそのことが自分の何に実になっているかはわからないんですがね 汗
本読んで人生観変えるような性格じゃないからなー


欲望や野望を持つのも大事だけど、ささやかだけど楽しく生活できりゃそれはそれで幸せじゃねーの?



どうでもいいけどさー。やられたよ「ウルルン滞在記」の阿部サダヲに。


つーか「オリーブさん」見て泣きそうになってしまったんですけど 汗


オリーブさん、話はよくあるっぽいといえばある内容かもしれないけど
最後の魚が帽子から出てくるとこで、なんか自然と微笑んでしまうと同時に、胸がキュンキュンしちゃったよー 感涙
阿部サダヲの持ってる暖かさがすごくにじみ出てた作品。


それにいちいちサダヲの仕草がかわいくてね、
グル魂でSEXとかチンコとか言ってる男とは思えない愛くるしさだね、どんな36歳だよ 笑


Mネェも見ていたらしくて、観た後「サダヲかわいい!サダヲになりたい!」とメールしてきました。
そんなMネェが充分かわいいのだが 笑


これは保存版です。サダヲばっか保存版だな 汗


あ、グル魂アルバム買ってないなー、来年だな、自分へのお年玉に買おう。