生きる本能。


今年に入って初めて買ったのが「ザ・ワールド・イズ・マイン」だった。
いろんなところで傑作と聞いていたが、ホントにおもしろくて1ヶ月間こればっか読んでいた。
あまりにもおもしろかったので、もう今年はこの作品を超える漫画には出会いないだろうなと思っていたのだが
たまたま立ち読みした「アシュラ」にあっさり超えられた 笑


「アシュラ」を読んでて「ワールドイズマイン」と重なる部分があるなと感じた。
どちらもとても陰惨で暴力的で、理性の欠片も無い主人公が殺戮を繰り返していく地獄絵図。
「アシュラ」は自分が生きるために人を殺して人肉を食らい
「モンちゃん」は自分が殺される前に人を殺すのだ。


アシュラは実母に火に焼かれ食べられそうになり、モンは母親に「死ね」と捨てられる。
生きてく為の倫理や、命の大切さなどを誰も教えてはくれない。たった一人でただ本能のまま生きる。
そんな彼らに、人の命の尊さなんてわかるはずもない。
そんな中、自分を取り巻く人間に出会う。
そして初めて「どうして人を殺してはいけないのだ?」と考える。
法師に人を殺める罪を諭され、自分を受け入れる若狭に母性を感じるアシュラと
ヒグマドンに死の恐怖を感じ、まりあに母性を求めたモン。


しかし、この2作品はヒロインである若狭やまりあにすら非情な現実を突きつける。
若狭は仕組まれた餓えの為に、恋仲を引き裂かれ、人肉だといわれた上でその肉を食べる。
まりあは友達の命を必死で救おうとするも、結局救えず
果てには不可抗力であるが、人殺しの手伝いまでしてしまう。
しかも極限まで追い込まれたヒロインは、どちらも皮肉なまでに魅力的で
若狭が餓えに耐えてる官能的な姿や、現状に耐え切れず狂ったまりあの透明な美しさは
罪深ささえ感じてしまうほど見事な変容だった。
特に「ワールドイズマイン」に関しては、あそこが一番のピークだったと思う。


そして、本能のままに動く迷いの無い主人公の行動は、いつしか周辺から羨望の眼差しを浴びることになる。
陰鬱とした物を抱えながら生きている人々にとって、各主人公は「代弁者」だ。
憎い奴は殺す。邪魔する奴も殺す。使えない奴も殺す。腹が減ったら殺る。犯る。食う。
あっさりと奪われた命の、なんと簡単な事か。残された遺体の数々の、なんと無であることか。
そんな主人公に、恐怖を感じながらも「何か」を期待せずにはいられない。
中でも、モンの魅力に取り付かれ、同じように人を殺してみても、決してモンのようにはなれない哀れなトシ。
アシュラに家族を殺されて、憎みながらもアシュラと同じ道を辿ってしまった罪に苛まれる太郎丸。
この二人の主人公に対する思いは、相違に見えて愛憎の絡まりが実に似ているとこがおもしろい。


他にも、いろいろと重なるなーとか思いながら読んでたんだけども
一番似てるなと思うのは、2作品ともとても「リアル」だということ。


「死」がすごく軽薄で簡単なんだよね。


くだらない会話をしながら、毎日同じような生活を送る平和な日々のなか
ヒグマドンに食われ、潰され、モンに殺されゴミのように残骸になってしまう人々。
正義を説き、殺人を思い留ませようとする大人達の無惨な死に様。
助けを求めても、願っても、抵抗しても、奇跡など起こらない当たり前のような死。
死体が積み重なる中、生きてくために、子を産む為に、ためらい無く人肉を食べるアシュラの母。
太郎丸が「アシュラは人を殺し、食べる」と周囲に訴える。
でも、周囲は「今の世の中それもある」と淡々と返す。
隣で「死」が起こったとしても、何事も無かったかのようにそれでも生きていかなければならない。
誰に命令された訳でもないのに、命があるから明日を迎えるだけなのである。


まったく、物語なのに容赦ない。


物語なんだから少しの希望を与えて、その悲劇から逃れる道を作ってあげてもいいだろうに
道は塞がれるどころか、そんな余裕すら与えてくれない。
だから余計に「死」がリアル。
実際、現実というのは生と死の単純作業であるかのような
あっさりと亡くなってしまう程の命の軽さで人が生きている。


この2作品はただそれだけを描いたような作品だ。
そんな2作品を、立て続けに出会って読めたのは、ある意味奇跡だな。


つーか、こんな長文にするつもりはなかったのにダラダラと綴ってしまった 汗
なんにしてもこの2作品を一気に読んだら衝撃受けること間違いなしだと思うので
読むときはどうせならセットで読んでみてください。倍楽しめると思います。


でも、読んだ後はしばらく他の漫画読む気になれませんから 汗