災難のねずみ講。

私の痛みをわかってくれとアピールするやつほど
他人の痛みに理解を示そうとしないのはよくある話なのだろうな。


「私はあの人に嫌な思いをさせられました」と言われても
実際その現場に居たわけじゃないから、簡単に話を鵜呑みにするわけにもいかんだろ。
「それは相手にも聞いてみないとね」といったら「私が嘘ついてるというんですか!」というし
「悪気があるわけじゃないんじゃない?」といったら「悪気がないなら、尚更性質悪いじゃないですか!」といわれ
「少しで良いから、大目に見てあげて」といったら「私に大人になれってことですか!」と言われた。


おめーな。それ、世間ではじこちゅーっていうんだよ。汗


自分の都合のいいように物事まわるんなら、誰だってそうしてーんだよ。
つーか、それいうか?随分あっさり言いやがって、それで神経繊細だといえてしまうのがすげーよ。
「そっかーその人は酷いねー悪い人だねー」といえばそれで満足なんだろうな。
でもそれ、言った時点で共犯になっちゃうんだよね。一方的な片方の排除に繋がってしまう。
相手の意見も聞かずにそれをやってしまうのって、それこそ相手の痛みになってしまうのをわかってないのだろうか?


わかってないから、無責任にアピールできるんだろうなー。


本当に人の痛みをわかる人って、はたしてどれだけいるんだろうね?
目で見えるような痛みじゃなくて、人の根底の痛み。
例えば、いじめられてる人の姿を見て感じる「痛み」ってのは、たぶん誰でもわかると思うんだけど
そのいじめられた人の感じた惨めさとか、卑屈さとか、憎しみとか
不快な悲しみからくる「痛み」を見通せる人って中々いないと思うんだよね。
まぁ誰もが簡単にそこまでわかることができれば、世の中もっと平和だろうにね。


中立って難しいなぁ。両方から繰り出される凸と凹のワードを嵌め合わせて解決していかんといけんから。
わしゃ数学もパズルも苦手だっちゅーの。困らせないでくれたまい。


とかいいつつ、結構冷静に対処している自分がいるんだな。


うーん、私の行き着く果ては不感症かしらん?(これ以上かよ)