産声が聞える。


ヒミズ


園子温に泣かされちゃったぁ〜っ! 汗


恋の罪」観て、冒頭の水野美紀ヘアヌード神楽坂恵の大きいおっぱいに驚き
冷たい熱帯魚」で切断されてればチンチンって映ってもいんだということを知った後に


こんな青臭くてド直球な青春映画を、園子温が魅せてくれるとは思わなかった。
ちなみに、原作の漫画は何年か前に読んだけど、私は原作より断然こっちの方が好みのラストだった。


内容も、漫画は親に見放された中学生住田の絶望への転落劇で、かなり救いのない話だったけど
映画は原作をベースに、震災後の日本を舞台に
普通の生活を親に奪われた住田と茶沢が何に希望を持ち、成長して生きていくかを
泥に塗れてもがきながら、必死に探していく少年少女像を描いている。


平和ボケした世の中に、猥褻と暴力と絶望を突きつけることが過激であるとするならば
逃げ道を失い、明日の希望が見えない者に「生きろ」と言う事がどんなに残酷で勇気のいることだろうか。


金をせびって酒を煽り、暴力三昧の父と
昼間から男を連れ込み、あげくその男と蒸発してしまう母を持った住田の境遇は
震災があろうかなかろうが不幸である事に変りはなく
それこそ、震災のように抗う事もできずに飲みこまれていくしかない、災害のような出来事なのかもしれない。
衝動的に父親を殺し「普通」という真っ当な道を閉ざされた住田が
自分を思い慕ってくれる茶沢という存在がありながらも、原作で「死」を選んだのは
ひょっとすると、作者が唯一手を差し伸べた救いだったのではないだろうか?


しかし、震災が起こってしまった今
監督は、未来ある中学生の少年を安易に死なせ、瓦礫の下に埋もれさせることができなかったのだろう。
住田がすべてを諦めるにはまだ若すぎる。
たとえ今が辛くても、罪を背負って償いながら、この先いくらでも夢や希望を叶える為にやり直すことができる。
ろくでもない大人にならないように、普通の生活ができるように
現実と向き合い、前を向いて命ある限り生き抜いてみろと監督は背中を押す。


「ガンバレ」というエールを送りながら。


震災後に批判の対象となった「ガンバレ」という言葉。
この言葉を受け流すことができなくなってることが深刻な問題なのであって、言葉そのものに罪がないってことは
まぁね、そんなの誰だってわかってるんだよね。
それも含め、この言葉が人を追い詰めてしまう威力を持ってしまったのは
多くの人がこの言葉にすがって委ねて、託したかったからなんだろうなと思う。
つまり、批判されるだけの思いが「ガンバレ」って言葉に詰め込まれてんだよ。


だって、響いたもん。


自分を奮い立たせる為に、明日を生きる為に
住田が、茶沢が「住田ガンバレ」と叫びながら走り出すラストシーンに
「そうだ、負けんな住田!生きろ!」って泣かずにはいられなかった。


あの住田の「ガンバレ」は
不安と希望を抱えながら、全てを受け止め未来に生きようと決意した住田が
生まれ変わる為に一歩踏み出す産声だ。
彼らがこれからどうなるかわからない。でも、彼らはこれから生きていく。


映画を観てる私は、「ダメな大人でごめん」と自分を恥ながら、二人の未来を願わずにはいられなかった。


そして映画観た後、私も生きていく為に「大阪王将」で天津飯とギョーザのセットを食べましたv